#53 産業医の仕事
【セイコーエプソン株式会社 広丘事業所 産業医 柴 瑛介】
産業医は会社に所属する医師ですが、労働者に対して直接的な診療行為を行うことを主な目的としていません。
我が国の産業医のルーツを遡っていくと、明治時代の「鉱山医」や「工場医」になります。当時の職場における労働衛生の最大の目的は、結核に代表される感染症の対策であり、治療を効率よく行うために、医療機関を工場内に設置したという位置付けでした。このような歴史的背景もあり、産業医の仕事は職場に“診療所”を提供することであると誤解されることがあります。時代の流れとともに、労働衛生の課題は変遷し、第二次世界大戦後には高度経済成長に伴って重化学工業化が進み、有機溶剤や化学物質による中毒等の、いわゆる“職業病”への対策が主な課題となりました。さらに近年では、産業のソフト化や業務密度の高度化によって、メンタルヘルス不調や脳・心血管系疾患が多発するようになりました。そのような中で、会社に所属する医師の主に目指すべきところは「福利厚生としての医療の提供」から、「労働者の健康維持・増進のための予防医学の提供」へと次第に変化してきました。
予防のためには健康リスクを正確に把握する事が重要であり、各種健康診断や職場巡視、環境測定、委員会参加、ストレスチェック等で必要な情報を収集します。得られた情報を元に健康リスクを評価し、それらを低減するために、保健指導や教育講話、事業者・職制への助言・勧告等を行うことが主な業務内容になります。あくまでも生活習慣を改善するのは従業員一人一人であり、職場における適正配置や就業上の制限を実行するのは事業者ですから、産業医は「従業員と企業の双方が自律的に行う産業保健活動を専門的視点に基づいて支援する」立場になります。企業に雇用されていながら、会社と個々の従業員の間で中立性を保ちながら活動する必要がある点が非常に特殊であるように思います。
産業医の臨床医と異なる大きな特徴として、個々の対象者のみではなく、一定の集団に対するアプローチを行える点が挙げられます。従業員個人のみから得られる情報に加え、作業内容や作業環境、教育歴、経済状況等のプロフィールが似通った様々な規模の集団から得られる情報を考慮することで、より広い視点から健康維持・増進に関する取組みや研究活動を行うことができます。健康障害の発生に何らかの業務関連性がみつかれば、次の発症を予防するために組織レベルの対策を講じることもできますし、業務上の因果関係が明らかではない場合でも、業務内容の調整によって状況を改善できる可能性があります。
近年では、CSR(Corporate Social Responsibility)やSDGs(Sustainable Development Goals)などが叫ばれるようになり、“健康経営”を掲げる企業が増えてきました。従業員の健康が会社にとってかけがえのない財産であることは言うまでもありませんが、少子高齢化が加速する現代社会において、「仕事と健康の調和」の重要性が一層増しているように感じます。私自身、産業医としてのキャリアはスタートしたばかりですが、一歩一歩、社会に貢献できるよう努めたいと考えております。
参考文献
『産業保健ストラテジーシリーズ 産業医ストラテジー』(産業医学推進研究会)
セイコーエプソン株式会社 広丘事業所 産業医 柴 瑛介