診療ノート

#38 「抗VEGF治療」

はじめに
近年、網膜疾患において血管内皮増殖因子(vascular endothelial growth factor: VEGF)を抑える眼内注射薬剤(抗VEGF薬)が使用できるようになり、眼科診療は大きく変わりました。眼科医になった四半世紀余り前には「診断しても治療法がない」とされた加齢黄斑変性や「視力は上がりません。より悪化することを防ぐためのレーザー治療しかありません」と説明した網膜静脈閉塞症が抗VEGF治療により「視力が改善する」「視力が維持される」ようになりました。眼科にとってはエポックメイキングとなった治療のひとつです。

抗VEGF薬
以前は外科等で悪性腫瘍の治療に使用するアバスチン®(一般名ベバシズマブ)を倫理委員会承認の上、適応外使用をしておりました。これはVEGFに対するモノクローナル抗体でした。
その後、マクジェン®(一般名ペガプタニブ)、ルセンティス®(一般名ラニビズマブ)、アイリーア®(一般名アフリベルセプト)と続々とVEGFを中和させる「分子生物製剤」が保険適応にて使用できるようになりました。これらは分子構造、分子量、標的部位が異なります。各抗VEGF薬の特性により、疾患別、患者別に使い分けています。

抗VEGF治療方法
治療は硝子体内注射となります。3日程前から抗菌剤点眼を行い、注射前に眼内手術に準じた消毒を行います。ドレーピングを行い、手術顕微鏡下で角膜輪部(角膜強膜境界部)から3.5mm 強膜寄りで30G針にて0.1mL程度注射します。硝子体内に入った薬剤が網膜に浸みこんで効果を発揮します。

抗VEGF薬の問題点
【局所合併症】
結膜からの出血で数日「しろめが赤くなる」ことはよくあります。細心の注意を払っていますが、針が水晶体に当たると「白内障」がおきますし、網膜剥離もありえます。しかし、これらは生じても手術による対応ができます。最悪の局所合併症は「眼内炎」です。1/3,000の頻度で、眼外の細菌が注射時に眼内に入れば生じます。硝子体内には白血球がいないため、感染防御反応が遅れ、強毒菌であれば失明も起こりえます。

【全身合併症】
硝子体内に投与された薬剤は眼内で吸収され、微量ながら全身にまわります。その結果、抗VEGF薬による脳梗塞、心筋梗塞のリスクがあります。説明時には「100人に1~2名に生じうるとされます。ただし、同年代でもこの年齢ではおきる確率」と説明しています。

【価格】
2016年4月から薬価が下がりましたが、ルセンティス®は157,776円、アイリーア®は142,605円です。3割負担では1回45,000円程度になります。加齢黄斑変性や網膜静脈分枝閉塞症の良好例では1~3回の注射で済む場合もあります。しかし、抗VEGF薬の効果は1~2ヶ月で消失するので、加齢黄斑変性の多くでは1~3ヶ月毎の継続的な注射が必要となります。また、糖尿病による黄斑浮腫は両眼性が多いため、更に経済的負担が大きくなります。
ベーチェット病に対するレミケード®治療なら「特定疾患」とされ、自己負担は軽減されますが、眼科の抗VEGF治療の対象疾患には特定疾患がないため、経済的理由により治療をあきらめる場合も時にあります。

抗VEGF治療の適応疾患
①加齢黄斑変性(AMD; age-related macular degeneration)

近年、急激に増加している疾患で、本邦における中途失明原因の第4位になっています。50歳以上の1.3%(80人に1人)の発症率とされています(Yasuda M. Ophthalmology 116:2135-2140, 2009)。「萎縮型」と「滲出型」があり、殆どが「滲出型」です。「滲出型加齢黄斑変性」では 加齢による酸化ストレス、局所炎症、酸素不足等により、物を見る視細胞(錐体細胞)が非常に多く集まっている「黄斑部」の網膜下に脈絡膜由来の「新生血管」が発生します。この新生血管は弱く、黄斑部網膜に出血や浮腫(むくみ)を引き起こし、光をとらえる視細胞の働きを傷害します。この新生血管発生に局所で産生されるVEGFが関与しています。また、VEGFは血管透過性を亢進させる作用もあり、浮腫も生じさせます。視細胞を含めた網膜は神経細胞であるため、ある程度の障害を受けると回復しません。そのため、早期治療が必要となります。

<症状>
「ものがゆがんでみえる」(=変視症、歪視(わいし))、「まん中がぼやけてみえる」(=中心暗点)が代表的です。最初は片眼性でも、数年内には両眼性になることが多い疾患です。
<病型>
日本では半分弱が1) 典型的(狭義)加齢黄斑変性、ほぼ同数で2) ポリープ状脈絡膜血管症、3) 5%程度が網膜内血管腫状増殖です。病型により、予後や治療方法が若干異なります。

②網膜静脈閉塞症に伴う黄斑浮腫

網膜を栄養した血管が視神経乳頭に戻っていく網膜静脈が網膜動脈の局所的動脈硬化により閉塞した状態です。閉塞した際に、血液が戻れないため、網膜内に出血、網膜浮腫、黄斑部の漿液性網膜剥離が生じます。閉塞静脈のかん流領域への血液供給は減り、側復路で血液は流出するので、新しい出血がなければ半年ほどで赤い出血は吸収されます。しかし、出血(赤血球内の鉄等)による網膜障害に加え、黄斑浮腫により視力低下となります。酸素不足の網膜から産生されたVEGFが網膜浮腫を増悪させています。
網膜静脈閉塞症は40歳以上で2.1%(2%と殆どが網膜静脈分枝閉塞症、0.2%が網膜中心静脈閉塞症)の有病率で、頻度の高い疾患です(Yasuda M. Invest Ophthalmol Vis Sci 51:3205-3209,2010)。

<症状>
視力低下、視野異常(網膜静脈分枝閉塞症では下半分がみえない等)、変視症があります。

③糖尿病網膜症に伴う黄斑浮腫
糖尿病網膜症は糖尿病患者の約15%に発症し、日本では約140万人が糖尿病網膜症にかかっていると推定されます。糖尿病網膜症は成人の失明原因の第2位(1位は緑内障)ですが、50-60代の失明原因の第1位です。次の3段階で進行していきます。

1.単純網膜症:高血糖が長期に続くことで、網膜の毛細血管の閉塞・網膜血管瘤が形成され、小さな網膜出血や血管内成分の漏出(硬性白斑)が生じます。
2.増殖前網膜症:眼底所見は出血や網膜虚血による軟性白斑を認める様になります。蛍光眼底造影検査を行うと毛細血管の閉塞が明らかとなります。閉塞部位の網膜からVEGFが産生され、網膜新生血管が形成されます。
3.増殖網膜症:網膜新生血管は硝子体中に成長し、その破れ易さのため、出血がおきます。硝子体出血となり、急な視力低下を自覚します。以降はこの出血や新生血管が線維性の増殖膜となり、網膜剥離や血管新生緑内障を起こし、「失明」に進みます。

【糖尿病黄斑浮腫】
前述の糖尿病網膜症のいずれの病期にも発症し、黄斑部で浮腫が生じた状態です。糖尿病網膜症の10~20%に生じます。

<症状>
視力低下、変視症。
<治療>
抗VEGF治療、ステロイドの硝子体内または後部テノン嚢下注射、レーザー光凝固(黄斑部)、硝子体手術があります。ステロイド治療は眼圧上昇や白内障進行のような合併症が30%程度と高率に生じます。レーザー治療はレーザーを施行した部位の網膜感度がゼロになるので、視力のよい症例ではなかなか治療できません。硝子体手術は手術自体の合併症(網膜剥離、感染)のリスクや入院・手術という負担が必要になります。そのため、現在は抗VEGF治療が第一選択となります。
しかし、ほとんどの糖尿病網膜症は両眼性であり、各眼にこの治療を行う場合、負担は倍です。かつ糖尿病が完治することは稀です。加齢黄斑変性と異なり、3割負担の年代が多く、抗VEGF治療を1~2ヶ月毎に行うことはコスト的に実際は難しいのが現状です。

まとめ
抗VEGF薬は「視力維持」のために、極めて有効な薬剤です。しかし、合併症の可能性、経済的負担を考慮した上で、長期的に投与を行う必要があります。
抗VEGF治療に際し、眼科から内科の主治医に「脳梗塞、心筋梗塞の既往や発症リスク」に関しての問い合わせがあるかと思います。主治医の先生にとっては「そんなことはわからない」場合もあるかもしれません。それでも、加齢黄斑変性患者は高齢者が多く、自分の通院疾患を把握していないこともしばしば経験します。明らかなリスク患者を除外したいので、紹介時はよろしくお願い申し上げます。